田中 亘's profile picture 田中 亘

Member of 決断科学

自己評価

2014年度のコミットメント

○決断科学プログラムを通じて、自分をどのように成長させたいのか
・海外研修に参加し,海外の現場を経験することで,自身の価値観や経験の幅を広げたい.去年,色々と海外へ行かせてもらったが,日本で当たり前だと思っていた事柄が,全く当てはまらない海外での経験は新鮮で,日本で成長してきた我々が考えるよりも,もっと自由な価値観の上に人間の人生は成り立ちうるし,そうした人々との交流で人生が豊かになったと感じている.
・環境モジュールの授業を通して主専攻の工学に加え,環境系の知識を修得することで学際性を身に着けたい.また,決断科学プログラムは,多様な分野の教員・学生が集まる場であるので,研修や授業,部活を通じて交流を深め,将来の共同研究の芽を育みたい.

○自身の研究の中で、どのようなことを達成するのか
・タイの氾濫原研究を大きく進め,日本を始めとする先進国で失われた氾濫原とは一体どのような環境なのか,知見を深めたい.今年は,現地調査を行い,基礎的なデータの収集を完了する.また,解析を行い氾濫原環境の生態的特徴をすすめる
・決断科学プログラムへの入学を機に,人文系の調査にもチャレンジしたいと考えている.氾濫原環境が多い地域と少ない地域で,人々と洪水,生き物の関わりの深さをアンケート調査で明らかにしたいと考えている.

2015年度のコミットメント

○決断科学プログラムを通じて、自分をどのように成長させたいのか
・海外研修に参加し,海外の現場を経験することで,自身の価値観や経験の幅を広げたい.去年,色々と海外へ行かせてもらったが,日本で当たり前だと思っていた事柄が,全く当てはまらない海外での経験は新鮮で,日本で成長してきた我々が考えるよりも,もっと自由な価値観の上に人間の人生は成り立ちうるし,そうした人々との交流で人生が豊かになったと感じている.
・また,海外出張の際には,研究の議論だけでなく,これまでの環境モジュールや決断科学のプロジェクトの紹介をにも取り組む.
環境モジュールの授業を通して主専攻の工学に加え,環境系の知識を修得することで学際性を身に着けたい.また,決断科学プログラムは,多様な分野の教員・学生が集まる場であるので,研修や授業,部活を通じて交流を深め,将来の共同研究の芽を育みたい.

○自身の研究の中で、どのようなことを達成するのか
・タイの氾濫原研究を大きく進め,日本を始めとする先進国で失われた氾濫原とは一体どのような環境なのか,知見を深めたい.今年は,水理解析を行い現地調査データとの関係性解析を完了する. また,日本での氾濫原再生技術の構築を視野に,日本国内での調査も開始する.
・決断科学プログラムへの入学を機に,人文系の調査にもチャレンジしたいと考えている.2014年は,タイでアンケート調査を行った.2015年は,日本の氾濫原で,氾濫原環境が多い地域と少ない地域で,人々と洪水,生き物の関わりの深さをアンケート調査で明らかにしたいと考えている.

カンボジア研修_目標・問題意識

環境モジュール海外研修レポート

組織研修WSレポート

「ムッシュカワノ 対応者:河野 辰也さん」

我々のグループは8月1日に佐伯の第三次産業の事業者の方々を訪問した。私は中でも、ムッシュカワノについて感想等を取りまとめる。

佐伯の三次産業についての聞き取りに向かった我々だが、河野シェフの話術に引き込まれ、時間がたつのも一瞬であった。修行時代の苦労、輝かしい経歴に飄々としたシェフの人柄、佐伯という土地の賜物だろう。

ヒアリングの中で、ワインをさまざまなグラスで試飲させていただいた。そもそも、グラスにまでこだわったレストランで食事をしたことのない私には、グラスによって異なるワインの繊細さや味を引き出せるというのは初体験であった。また、オリーブオイルも試飲させてもらい、オリーブオイルの等級や産地の話などをお聞きした。オリーブオイルをそのまま飲むというのは、当然初体験だったので、あんなに辛い味がするとは知らなかった。こうしたワインやオリーブオイルへのこだわりで思い出したのは、日本人にとっての米である。我々も、料理によって米を換えたり、品種によって炊き方を換えたりする。やはり、食というのは人間が生きていくうえでの基本であり、そこには人間の並々ならぬこだわりが集積されていくのは世界共通らしい。しかし、ヒアリングに来たつもりが、我々は逆に食育を施されてしまったようだ。レストランでの活動の枠を超えて、河野シェフは佐伯の食を盛り上げるべく、精力的に活動されている。まず、印象深かったのは「佐伯素食塾・財」の活動である。「佐伯素食塾・財」は、地元の農業生産者グループと料理人が協働して佐伯の食材と料理の開発・掘り起しを行う活動で、一次生産者の丹精こめて作った食材を一日限定レストランのイベントで振舞うなど佐伯の食のアピールを行っている。特に興味深かったのは、農家の人にイベントでギャルソンをしてもらうという試みである。生産者には、普段見ることのできない消費者・食べる人の顔を直接見、話をする機会を得ることでモチベーションを新たにできる。お客さんから食材の説明を求められれば、自身の生産物についてのアピール力を向上させるよい機会となる。これには、食育の専門家の比良松先生も「この手があったか」とうなっていた。

また、河野シェフは地元の高校生に対して料理教室も行っている。地元佐伯のすばらしい食材を使って高校生たちの胃袋をつかむ、食育を施すことで地元の味に対する消費者を育てるという活動であると理解した。河野シェフがおっしゃったが「ふるさとの味から逃れられない」。人間の味覚はおふくろの味で形作られている。「佐伯リーフ」のマヤさんなども関東の食が自身にとっていまいちであったのが佐伯に帰ってきた一因とおっしゃっていた。佐伯市では若者の4割ほどしか地元に就職をしないという話を聞いた。また、今回訪問して佐伯の食材と人のすばらしさを随所に感じた。職だけでなく食という切り口からもこの問題の解決に迫れるのでないかと強く感じた。

「ファスト&スロウ」書評

心理学を研究し,ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンが,その研究成果を平易な文章で綴ったのが本書だ.オフィスの井戸端会議用に書いたとのことだが,なるほど門外漢の私にもわかりやすい内容だった.直感的な意思決定をほぼ自動に行うファストな思考である「システム1」と注意力を要する論理的意思決定を行うスロウな思考である「システム2」の擬似的な二つのキャラクターを想定することで,我々の思考の特性はうまく説明できる.読後,自身の思考に対する考えを変える一冊だった.

心理学関係の本を読むのは初めてだったため,本書の内容は新鮮に感じた.自己を性格の違う2つの主体に分けて理解するということも面白かったが,特に,興味深かったのは,自動的に高速に働くシステム1が,ヒューリスティックやバイアスによって,しばしば,間違いを犯すということであった.これまで私は,生物系の研究をしてきたため,直感というものは肯定すべきものとして認識してきた.研究で魚を捕まえ,その種の同定を行うとき,顔つきや雰囲気から差異を見分けることは,個々人のセンスに依るところも大きく,まさしく直感と呼べるものである.この同定のためのパターン認識の力を養うことこそ自然のあり方を正しく捉え理解することにつながると考えてきた.そのため,本書の内容は,受け入れがたいものがあった.この部分の誤解はのちに解けるのだが(22章エキスパートの直感は信用できるか),本書の随所にちりばめられた意地の悪い質問と臨床実験の結果から,システム1の弱点やミスを減らすためにシステム1をコントロールすることの重要性を否が応でも実感することができた.

しかし,システム1に起因するエラーを防ぐことは,非常に難しいらしい.この分野の研究を続けてきたカーネマン自身,直感的思考の錯誤のしやすさは,研究を始める前とさして変わらないと述べている.本書を読んで,厄介だと感じたのは,「後知恵バイアス」である.人は過去の意思決定について,その結果が良かったか悪かったかで,過去の自分の判断プロセスや思考プロセスの記憶を修正する傾向を持つという.すなわち,自らの意思決定を振り返り,妥当性を検証し後に役立てようにも,後知恵のバイアスにより,正しい教訓や反省がえられない可能性があるということで,この部分を知ることができただけでも本書を読む価値が十分にあったと思う.

本書に述べられているように,システム1に起因するエラーを防ぐ最も有効な手立ては,いかにも認知的な錯覚を起こしそうな状況を察知したとき,思考をスローダウンし,システム2の応援を求めることである。また,そうした認知的な錯覚を起こしそうな状況を自身が察知するよりも,他人がそうした状況に陥っていることを指摘するほうがはるかに容易であるとも述べられている.本書の教訓をかみ砕くと,正しい意思決定を下すためには,適度に休みをとって認知的に多忙な状況を作らないこと,ドツボにはまったら,井戸端会議などで他人の意見を聞こうということだろうか.ちょうど,カーネマンがエイモスという相棒を得て,散歩をしながら研究を発展させたように.

書評 銃・病原菌・鉄

なぜ現代世界には不均衡が存在しているのか。現代社会においては、ユーラシア大陸の民族および、ユーラシア大陸から北アメリカ大陸への移民を祖先とする民族が世界の富と権力の多くを握っている。南北問題としてよく耳目にする内容である。これを説明する一般的な回答は、もって生まれた能力が民族によって異なっているからだという生物学的な差異を持ち出した説明である。そして、こうした説明をほとんどの西洋人は、個人として、あるいは無意識的に受け入れているし、日本やその他の多くの国でまかり通っていると著者は指摘する。

本書は、ニューギニア先住民ヤリからの「あなたがた白人はたくさんのものをニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜか?」という問いに端を発している。しかし、前述のようなこの問いに対する一般的かつ人種差別的な回答、つまり有色人種が白人より知能で劣っているという仮説を検証しようとする試みは今日に至るまで成功していない。著者は、世界にこれほどの格差があるのは、もっと根源的な明確な理由があってしかるべきであろうと考えた。「白人」が他の大陸を植民地化し支配できた直接的な要因である銃・病原菌・鉄をタイトルとしつつも、本書は、アフリカ人やアメリカ先住民ではなくヨーロッパ人が銃・病原菌・鉄を持つようになった要因、すなわち、人類すべてが狩猟採集で暮らしていた13000年前の最終氷期の終わりから、人類社会が大陸ごとに異なる経路をたどって発展することとなった究極の要因を解き明かそうとする。

著者は、大陸間や民族間に格差を生んだ究極の原因を食糧生産の開始時期の違い及び違いを引き起こした大陸の環境差異に求めている。著者の仮説は以下のようである。食糧生産と人類社会のもっとも直接的なつながりは食糧生産が増えれば養える人口が増えるといことである。農耕民は1エーカー当たり狩猟採集民の10~100倍の人口を賄える。このことは、軍事面での農耕民の優位性を表している。また、定住生活は、食物の貯蔵・貯蓄を可能にすることで、食糧生産にかかわらない王族や官僚、軍人、僧侶、職人の存在を可能とする。社会的に階層化された複雑な経済社会の成立である。また、家畜の飼育が直接的に侵略戦争に貢献した例もある。馬は、コルテスやピサロが南北アメリカの帝国の征服に大きく貢献し、鞍や鐙の開発によって遊牧民であるヒクソス、モンゴル人は活動領域を大きく広げている。さらに、著者は家畜の副産物として、病原菌が征服戦争に果した役割を指摘している。天然痘、はしか、インフルエンザなどの伝染病は、本来動物の病原菌の突然変異である。家畜を飼育していた人々は、こうした伝染病の最初の犠牲者となったものの、長い年月をかけて、抵抗力を次第に獲得していった。こうした免疫を持った人々が、持たない人々の文明と接触したとき、伝染病が大流行し、時には後者の99%が死滅するという、侵略戦争上の決定的な役割を果たすことなった。

食糧生産とそれに伴う人口の周密化が複雑な階層社会の存在を可能にし、技術的革新の下地となったとして、いったい、大陸ごとに、食糧生産の時期が異なっていた原因は何であろうか?著者は、栽培化・家畜化に適した種が大陸ごとに偏在していたことと各大陸の広がる方向に原因があると指摘している。栽培化に適した種の偏在について、ブルーマーの研究によれば、イネ科の植物のうち特に大きい種子を持つ(栽培化可能な)56種のうち33種はユーラシア大陸に、11種は南北アメリカ大陸に、2種はオーストラリアに自生しているという。家畜化可能な哺乳類の種数では、ユーラシア大陸に72種、アフリカ大陸南部51種、南北アメリカ大陸24種、オーストラリア大陸1種存在しているという。また、著者は食糧生産が起源的に始まった地域からの食糧生産の伝播速度が、大陸の形状によって左右されると指摘する。緯度を同じくする場所では、気候や日の長さに大差がないことから、栽培化された植物が同程度の緯度方向には導入しやすかった一方、南北方向では環境条件が大きく異なる事から、栽培化された植物の定着に大きな困難を伴うこととなる。すなわち、東西に長いユーラシア大陸では、食糧生産の伝播速度についても、南北方向に長い他の大陸よりも有利であったとしている。

本書によって、世界に存在する格差をどうとらえるべきか考える機会を得ることができた。本書の仮説が提示しているのは、現代社会に存在している不均衡は、各大陸の地理的偶然によって左右されているにすぎないということである。決して「白人」の知能が、「有色人種」より優れていたからではない。仮に1万3000年前にオーストラリアにアボリジニの替りに「白人」が存在したとしても、オーストラリア大陸の環境の中で、ユーラシア大陸で築きえた文明と同程度の文明を築くことはできなかったのではないか。つまり文明は、大陸の環境的必然に従っていたに過ぎない。一方で日本について考えれば、中国などから文明を学ぶことができ、相対的に、地理的に恵まれた立場にいた。今日の日本の経済発展が戦後日本人の努力によるものではなく、多くは地理的あるいは政治的偶然が生んだものだったといえば、少々言い過ぎだろうか。しかし、世界の格差を考える上でそうした思考もおもしろい。ただの地理的偶然によって発展した先進国が、何の落ち度もない後進国に対して負うべき責任はあるのか。ODA等の援助は理に適っているのか、あるいは格差はどこまで是正されるべきなのか、個人として考えてみたい。

本書の仮説は直感的にわかりやすく、私には賛同できる部分が多い。しかし、人類社会の発展に影響した究極の要因を明らかにするというのなら、栽培化・家畜化に適した野生種の偏在を引き起こした要因も明らかにするべきではないか。たとえば、アフリカ南部は、○○という環境条件であり、動物の「序列制のある集団を形成する」形質は生存上不利に働く(あるいは肥沃な三角地帯では有利に働く)、などの説明があればより賛同できる。サハラ砂漠以南のアフリカの家畜化可能な51種の候補のうち家畜化されたものが皆無であるといった点は、私は不自然であると思う。